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    2009年12月07日 (月) | 編集 |

    昨日の記事にはある条件があるということに、今日になって気がついた。


    > 勝手な思い込みかもしれないけれど、目に見える現実と同じ
    > 素材を使った話には現実らしさが求められ、目に見えない・
    > 作り上げた話には現実を想起させるものから遠ざけた素材を
    > 使ったほうがおもしろいのかもしれない。


    こう書いたくだり。
    僕の頭の中にある前提は、


    『自分がある程度現実として起こりそうだと思えるテーマや設定において描かれたものであること』


    だから当然、その作品を見る時期によっても受け取り方は違ってくる。
    攻殻機動隊に今頃面白さを感じているのがいい証拠。リアルタイムで積極的に見ようとしていなかったわけだから、放送当時は興味がなかったということ。今はアニメに新たな表現の可能性を見たから、先のように思ったのだということ。現実にいる人を使っても新たな表現が作り上げられれば、ドラマや映画だって面白くなるだけのことなわけで。


    物事を決めつけかけていたのはちとまずかった(--;


    ただ、今日はこれに関連してもうひとつ言えるなと思ったことがある。


    それは自分の想像や想定の範囲でないと、目の前にある作品や現実さえ受け入れられないのだ、ということ。


    よく、『現実は小説よりも奇なり』と言われる。


    一般に小説に描かれる話は想像の世界で書かれたもので、いくらでもイメージを膨らませることができるから、現実ではありえない話を書くことができる。だから小説の中のほうが奇妙な出来事が起きるだろうという思い込みがある。でも、現実に起きる事件は、普通の人の想像を超えている場合がある。


    確かにね、とは思っていたけれど、でも、これは至極当たり前なことだということにやっと気がついた。改めて言うことではないということに。


    事件を起こした人は、その現実をイメージできたからリアリティを持たせることができた。頭の中のイメージを現実にできた。そういうことなのだ。


    小説家だって、結局は自分の経験した範囲や取材した事実を消化できた範囲でしか、ストーリーを描くことはできない。事件は、その関係者のイメージが作り上げた現実。関係者の人達が、それぞれの人の経験を元にして、ある出来事を発端としてお互いに呼応し、頭の中でイメージし、しかもイメージがシンクロしたからこそ具象化された出来事。そりゃ小説より奇異な場合だって起こりえる。というか、起こって当然なのだ。


    そしてその出来事は、報道されることでその場に居合わせていない人々にさえ影響を与える。まるで無理やり人々に想像力の枠を広げさせるかのように。


    すごいね。人間社会っていうのは。



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